服作りをはじめたきっかけは?
洋裁講師の母の影響です。小学校低学年の頃から、フエルト細工を始めるようになって、筆入れ、ナップサック、と、だんだん大物にチャレンジしていきました。母に教えてもらいながら、初めて洋服(のようなもの)を作ったのは、小学校5年生のときでした。かれこれ数十年も洋裁をしていることになりますね。
小さい頃から裁縫が大好きで、気がついたら洋服を作ることが仕事になっていました。自分の服より人の服を作る方が断然好き。無理難題をぶつけられる方が、燃えるタイプです。オーダーの仕事は、毎日が実験と発見の連続で、洋服作りの奥深さに "うなる" 毎日です。もの作りも好きだけど、人と接するのも大好きで、今の仕事は本当に天職だと思っています。一生勉強、日々精進 !! 皆さんの笑顔を見るために、今日もミシンの前に座っています。
洋裁講師の母の影響です。小学校低学年の頃から、フエルト細工を始めるようになって、筆入れ、ナップサック、と、だんだん大物にチャレンジしていきました。母に教えてもらいながら、初めて洋服(のようなもの)を作ったのは、小学校5年生のときでした。かれこれ数十年も洋裁をしていることになりますね。
若い頃は趣味で洋服を作ってきて、社会人になってからはファッションに関わる様々な職業を経験しました。いろいろな経験の中でも一番夢中になれたのが、誰かのために服を縫うことでした。私が仕立屋さんをやっているのは、自分が一番自分らしくいられる職業だからだと思います。
よくこの質問をされるのですが、俗に言う紺屋の白袴というやつで、自分の服はめったに作らないんです。この話をするとがっかりされる方が多くて・・・自分用には既製品で済ますことがほとんどです。いつも年の初めに「今年は自分の服を、月に1着作る!」という目標を掲げるのですが、去年は1年間で2着にとどまりました。お恥ずかしい話です。
オーダーいただく際、お客様となるべくたくさんお話しすることです。特にデザインを決める段階のコミュニケーションに時間をかけます。お客様のイメージ通りの洋服を作る上では、とても重要だと考えています。
製作する上でのこだわりは、生地の地直しと裁断で地目を通すことにとても気を使います。末長くお召しになっていただくために、適度に身体になじみ、しかも型くずれしにくい洋服づくりを目指しています。
2002年の夏、約8年間すごしたイタリアから日本に帰ってきました。ひょんなことで知り合った方から、JR岐阜駅の駅ビル アクティブG の空きテナント情報をもらい、迷うことなく店を開きました。オープンまでの準備期間が3週間ほどだったので、大急ぎで「SU MISURA」(イタリア語で「オーダーメイドの」という意味)という屋号をつけ、2002年9月、バタバタとオープン。2004年11月岐阜市内に移転し、現在に至っています。
「毎日ミシンと布に囲まれて生活したい!」という若い頃の夢は、いつの間にか叶っていました。今後の目標は、この生活を長く継続していくことかな。